ブーゲンビル島の悲劇

ブーゲンビル島の現在

ブーゲンビル島の悲劇と言っても、第二次大戦中の話ではありません。私が留学していた当時実際におきていた話です。ブーゲンビル島はパプア・ニューギニア領内のソロモン諸島寄りにあります。日本でも多少報道されたかもしれませんが、ブーゲンビル島でゲリラと政府軍の戦闘が続いていました。当初反政府ゲリラを政府軍が鎮圧にあたっていると報道されていましたが、そな単純な話ではない事がわかってきました。

悲劇の始まりはブーゲンビル島の銅山にあります。ブーゲンビル島の銅山では当時オーストラリアを中心とする多国籍企業による採掘が行われていましたが、どうもパプア・ニューギニアがオーストラリアの保護を離れる時に、ブーゲンビル島民はソロモン諸島との関係が深いにもかかわらず、独立後の収入源確保という名目で、実は企業の権益を保護するためにパプア・ニューギニアに編入されたようです。また企業の採掘方法も島民を強制的に移動させるという荒っぽい方法で、ブーゲンビル島における反政府運動もどうやらもとは土地返せ運動だったようでず。

問題が悪化したのはパプアニューギニア政府がブーゲンビル島の自治権を剥奪、戒厳令状態に置き、島民に圧力をかけるために食料を始め医療品などの供給をすべて止めたことにあります。それ以来ブーゲンビル島独立運動が激しくなった訳ですが、パプアニューギニア政府は軍を送り込み、島民を無差別に強制収容所に送り込んでいます。強制収容所はボスニア等と同じで悲惨な状況で、兵士によるレイプ等も日常的に行われている事が、脱出者の証言で明らかになってきました。大部分の島民は山岳地帯に逃れ、男は武器を取って戦っているそうです。

オーストラリア政府の介入

また問題は、オーストラリアがパプア・ニューギニアに対して軍事援助をしているという事実です。無論ブーゲンビル島を意識してのことではありませんが、オーストラリアで訓練を受けた兵士が、オーストラリアから貰った武器を手に、オーストラリアの財政援助でブーゲンビル島民を弾圧していました。オーストラリア政府は当時話し合いでの解決を望むと言っているだけで、特に何も対策を取ろうとはしていませんでした。民間にはブーゲンビル島民を支援する組織ができたようです。世界各地の大きな紛争に隠れ気付かれないでいるようですが、平和だとばかり思っていた南太平洋にもこんな悲劇があった訳です。

オーストラリア政府は東チモール問題に関してインドネシアを批難していましたが、時折インドネシア軍の艦船が訓練のためオーストラリアに来るように、どうも言っているほどには人権問題を重視したり、平和を愛好したりしているわけでもないようです。ブーゲンビル島の問題を見ても、かなり産業優先の国だということがわかってきました。